血圧を下げる方法と説明をしない医者と治癒は気からの話
血圧が高かったんです。
って、なんかダンカンさんのCMみたいですけど。
まぁ、200とかじゃないですけど、ボーダーに引っかかるくらいでした。
で、医者に行ったら、「アムロジンとメインテート飲んどけ」と。
血圧下げるクスリなので、そりゃあ、飲んだら下がりますわな。
でも、初めのうちは、結構、めまいがヒドかったです。
ただ、お題に書いた「血圧を下げる方法」ってのは、もちろんクスリのことではありません。
そういうのとは別に、ダイエットをしたんですね。
方法は、朝にはガッツリ食べるけど、夜を減らすという方法。
あと、たまに自転車に乗ったり、軽く筋トレしたりもしました。
で、痩せました。
そしたら、血圧も下がりました。
すると、かかりつけのセンセー曰く、「ああ、そうだね。痩せたら、血圧、下がるね」。
って、おい。
コレって、常識なんでしょうし、自分でも確かに聞いたことはあったような気はします。
でも、あんまりピンと来てなかったんですよネー。
つまりは、診察したときにセンセー様からの説明が、何もなかったということです。
なので、個人的には、「おいおい、後出しで言うなよ」「先に言えよ」と思ってしまいました。
んー、何というか、最近の大病院のお医者さんって、ちゃんと説明をしてくれてないように感じます。
患者という名のお客さんが退去して押し寄せてきて、待ち時間2時間で5分診療みたいな感じなので、致し方ないのかもしれませんが。
それにしても、最初に胸が苦しくて病院に行った段階で、「ああ、血圧が高いですね。改善するには云々」という具合に、一通りの説明はしてもらいたかった。
ただ単に、「お薬出しておきますので、様子を見ましょう」なんて具合で、そこはかとなく釈然としない気持ちがあったワケです。
はい。
確かに、多少血圧が高いくらいは、たいした病気でもないという感じもあるのでしょう。
なおかつ、「適度な運動をして、食事も節制して、体重を減らし・・・」なんて話をしても、ほとんどの患者が、バジトーフーなのかもしれません。
でもね。
それでも説明をするというのは、医者の仕事の一部だと思うのです。
うん。
まぁ、たぶん、アレですね。
忙しすぎるのでしょうね。
先日、歯科に行ったのですが、大きなトコロより、説明も治療も、かなり丁寧にやってくれました。
そういや、総合病院では紹介状がないと特定療養費が掛かる、みたいな制度ができましたよね。
有り体に言えば、「何でもかんでもデカいトコロに来ないで、まず小さいトコロに行ってくれ」という話なんでしょう。
で、実際上、そうしないと、総合病院で受けられる診療・治療のレベルも低下してしまう。
患者の側も、きちんと病院を使い分けるような賢さが求められる時代なのかもしれませんな。
なんつって、そんなのは元からカー。
元からなのカー。
とは言え、ちょっと話は変わるけど、これからは、もっと自分の感覚を頼りにしていこうかと思っている。
つまりは、センセーを見たとき、話をしたときの感じで決めるということ。
診察を受けると、医者は治療法の提案をしてきますね。
「こうしようと思うが、どうか?」というヤツ。
そのときに、「ああ、センセー、それだわ!それで頼むわ!」と思えるかどうか、という感じの話。
自分の気持ちが乗るかどうか。
たぶん、それが、とても大事。
膝の手術で、ただ開けて、そのまま閉じるってコトをしただけで、治ってしまったなんて話もあるくらいだし。
要するに、そもそも絶対の正しさなどというものがないのだから、自分が乗っていける方へ進もうということ。
その気持ちが、快方への大きな原動力であり、それを過小評価しない、ということだ。
「病は気から」とは言うが、大事なのは、「治癒は気から」というワケなのであーる。
まぁ、おんなじことだけどね。
でも、ホントは、違うけどね。
ただ、まぁ、ガンの治療で、切除やら抗癌剤やらを拒否して、そのままあっという間にイッてしまう人もいるからなぁ。
しかし、そこには、「逃げたい気持ち」があるかどうか、という違いがあるようにも感じる。
決めつけるつもりは、もちろん、ないけど。
ただ、自らの病という事実から逃れようとして楽な方へ向かうのは、違う。
さりとて、「病気と戦う!」と対抗心を燃やすというのも、きっと違う。
そうではなくて、治るという希望によって心が開放される方へ向かうってーのが、おそらくは正しい。
そこを見据えるトコロに、患者としての賢さがあるのではなかろうか。
なんてナー。
何の話だっけ?