垂流

報酬月額7桁超えの「それなりアフィリエイター」が語る日常

インチキニュース番組のインチキコメンテータと究極的なズレの体現者について

こんぬつは。ミミズの褌を煮た汁を飲むと万病に効くのだが、ミミズの褌などはないのだよ、でお馴染みのkihiroですよ。どーもどーも。

ほぼテレビを見ないので、ちょっと見かけたことがあるかなぁ程度の彼でしたけど・・・。

 

netgeek.biz

 

かなり面白いことになっていますね。

ただ、個人的には、インチキニュース番組にインチキコメンテータが出るのは、当然。

という気がしないでもないですワ。


番組のどこがインチキなのかについては、コチラの記事をご覧くだたい。

blogos.com


また、「インチキ」という言葉は、「本物でないこと」の意味で使っている。

トコロであーる。


さて、ご存知のとおり、報道ステーションの前身はニュースステーションである。

こちらも、ニュースショーという意味では、同じだった。

でも、久米宏というカシコが回していたから、何とかなっていた。

賛否はあるものの、多くの人がただニヤリとするだけで、受け流すことができていた。

メインキャスターが、そういうインチキ臭さも含みこんだ番組であることを理解しつつ、上手に捌いていたからだ。


しかし、その後を継いだのが、古舘伊知郎であーる。

いやいやいや。

ソレはない。

ムリムリ。

当時、そう思ったのは、ワタクシだけではないハズだ。

つまりは、いわゆる、「もんどりうって倒れる」の状態であーる。

びたーん。


古舘伊知郎は、実際、かなりズレている。

イケてる分析・シブい批評をしているつもりでありながら、フォーカスすべき点がズレ、ピントもズレている。

ズレズレである。

過去においては、そうしたズレは、プロレスという存在自体がズレであるショーとうまくブレンドされることで、誰も聞いたことがないようなオモシロ実況ができあがった。

80年代のプロレスブームとマッチして、押しも押されもせぬ「名物アナ」になった。


しかし、さすがに報道(系)は違った。

ズレた視点でも見られる人には務まるにしても、ただただズレているだけの男にはさすがに務まらない。

だから、そういう意味では、もし彼にやらせたいのなら、もっと砕けた感じにすべきだったのだろう。

つまり、現在あるようなワイドショー以上にぶっ飛んだ、ただニュースをネタとして扱ってギャーギャー騒ぐだけの完全なるゲスゲスな「ショー」にすべきだった、ということだ。


けれどもテレビ局としては、視聴率が取れていたニュースステーションを、そのまま捨てる気にはなれなかった。

そこで、嵌めこまれたパーツが彼だったワケだが、生じたのは違和感だけで、そんな状態が10年以上続いてきたのだから、何とも寒気がしてくる。

実際、メインキャスターは、どうやら大真面目にしゃべっているようなのだけれど、すべてが完全にふざけているようにしか見えず、さりとてちゃんとしたツッコミもオチもなく、ひどく居心地の悪い感じにしかなっていなかったし、それはいまでもそうだろう。

ケツのあたりがモゾモゾ、ゾワゾワしてくる感じ満載の番組で、ずっとあり続けている。

そういう意味では、スゴイと言えばスゴイ。

かもしれない。


と、インチキコメンテータ問題から、かなり離れてしまったが・・・。

川上某については、どうかと言えば、メインキャスターの微妙なコメントに対して、いわゆる「利いたふうなことを言う」のが役目だったのだから、まったくもって適任だったとしか言いようがない。

という感じですナ。

うん。


つまりは、あの番組に真実性など求めていないし、クッソ面白いから、まぁ、いいんじゃねーの?

ってダケ、だわ。


おしまい。

「ごめんなさい」に添えるべき、効果的な言葉を学べ

ども。

「ピリリと辛い」を「ピリ辛」と略されたときの、「リと」と「い」の気持ちになってみろ、でお馴染みのkihroだよ。

また、ニュースを見ていたのだけれど・・・。

いわゆる、「おとり物件」の話。

yukan-news.ameba.jp


ネタ自体は、すでに入居者のいる部屋を空き物件としてネットなどで紹介して、それに釣られて不動産屋に来店した客に、別の物件をセールスするという手口の話なんですが・・・。

コレ。

雑誌とかネットとかで見たカワイコチャンを目当てに出かけたら、「あー、◯◯ちゃんですかー。いまロングで指名入っちゃったんですよネー!他にもいい子いますYO!」みたいな話は、よくありますよね。

ネー。

って、いつの間にか、フーゾクの話になってますけど。

ゲフンゲフン。

不動産のおとり物件の件は、まぁ、「商売とは信頼なり」ということを知らないクソガキがやりそうな手口ですし、ぜひとも然るべき対策をしていただければとは思うんですが・・・。

それよりも、気になったのが、ニュース内に出てきた、このフレーズ。

 

「少なからず、ごめんなさい」と謝罪した。


ってヤツ。

少なからず、ごめんなさいwww

少なからず、ごめんなさいwww

言うの?

これって、普通に言う言葉なの?

いやぁ、おもしれーなぁ。

いいデスなぁ。

いわゆる「天然もの」ってヤツですよね。

「少なからず」に「ごめんなさい」を続けるセンス!

あるいは、「ごめんなさい」に「少なからず」を添える天賦の才!

是が非でも、見習ってイキたいものです。

なので、ワタシも新たな組み合わせを考えてみました。

・やけに、ごめんなさい。

・まずまず、ごめんなさい。

・そこはかとなく、ごめんなさい。

・ひとかたならず、ごめんなさい。

・・・。

うーん。

違う。

違うんだよ。

謝罪なのに、否定するとは言え、「少ない」という言葉を使うことに妙があるんだよ、なぁ。

というワケで、「ごめんなさい」に添えるべき言葉は、「少なからず」で決定しました。

はい。

これには、誰もが納得ですね。

でしたね。

と、完全にどうでもイイ話でしたが・・・。

まぁ、日本語って面白いねっつーコトで。

またー。

 

首の骨を折って全身麻痺になってでも組み体操をやらなければならない理由

こんぬつは、朝食べられないのは夜食べ過ぎだからだろうと思うkihiroさんですよ。どーもどーも。

さてさて、一部の教育者の方々が熱狂的に信奉している組み体操の話題です。

こんなニュースがございました。

www3.nhk.or.jp


いやいやいや。

事故が相次いでいるから俎上に上ったワケで。

にも関わらず、なぜ、ここまで頑張らなけりゃならないのか、意味が分からん。

「中止するのは簡単だが、続けていけるように教員向けの研修を行うなど何ができるかもっと考えるべきだ」という意見があったそうだが・・・。

なぜ続けていけるようにしなければならないのかについては、何も言ってないですな。

「組み体操をなくせば次はムカデ競争をやめようとなる。安全を第一に考えながら継続すべきだ」という意見もあったとのことだが・・。

ムカデ競争だって、危険だということになれば、やめるのが当然だろう。

どうにも、「継続ありき」の議論としか見受けられず、気持ちが悪くて仕方がない。

「自分たちも頑張ってやってきた、そこから学んだこともある、だから、いまの子供たちもやるべき」というような話なんでしょうかネ。

自己肯定感のために、他人を、しかも子供を、犠牲にするのはタノシイのでしょうか。

news.livedoor.com


コチラは以前の大阪市での決定を受けてのニュースですが・・・。

極楽とんぼの加藤某は、「部活で怪我することもあるわけだ。それはみんなが訓練してて、いいチームを作りましょうってことでしょ」などと言っていたらしく。

しかし、部活と授業や運動会とは、ゼンゼン別だろうね。

部活は「やりたいヤツがやっている」というのが基本だから。

運動会と部活がゴッチャになっちまうような、運動に対して「やらされ感」なく育ったようなヤツに、分かったようなことを言われたくないもんだな。

骨折するような事態にまでなるようなことを、是非ともやらせるべきというのなら、なぜやらせるべきなのかについての説明が必要だろう。

そこのところが、決定的に欠けている。

「少しでも危険があればやめるというのでは、体育の授業などできない」というお考えであれば、それは一理あるだろう。

けれども、何をやるにせよ、それをやることの効能と危険性とを天秤に掛けるような考えは必要なものだ。

再度、冒頭のニュースに戻り、別記事だが、

www.tokyo-np.co.jp


には、

「危険だからと中止にすると、他の種目にも中止が広がる。十分に準備すれば、過去の経験を生かしていける」との意見が出ていた。

どうやら、外野からあーだこーだと言われる度に検討するのではたまったものではない、というお考えが伺えそうですな。

「種目ごとに危険性を示し、各校が安全性を検証して判断するべきだ」という意見もあり・・・。

つまりは、それぞれの学校に判断を任せるべきということであって、わざわざ雁首揃えて議論するとしておきながら、お偉いセンセーがたの無責任な話とも受け取れるネ。

北海道新聞の社説、

dd.hokkaido-np.co.jp


によれば、

「過去にはピラミッドの下敷きとなり、首の骨を折って全身まひとなった生徒もいた」とのことだそうで。

委員の皆々様がたは、テメーの子供が全身麻痺になっても、「組み体操をやるべきだ」などと言えるのだろうかね。

やはり、「一度引けば、どんどん引かざるを得なくなりそうでイヤだ」というように見える。

生徒のことを考えずに、自分らの都合で意見を述べるヤツバラを「有識者」と言うのだったかな。

お偉い方々の名簿はコチラです。

www.kyoiku.metro.tokyo.jp


同じニュースだが、下の記事は詳しくて良いデスね。

top.tsite.jp


「安全を最優先し、競技をやめてしまうのは簡単だ。組み体操そのものがリスクをはらんでいるということを、指導する側がきちんと認識し安全に取り組めるのか考えることが必要だ」と語ったのは、「中学校体育連盟の理事も務めた大田区立雪谷中学校の新宮領毅 校長」とのこと。

果たして、指導する側が安全に取り組めなかったから事故が多発しているという大前提が、そう簡単にクリアできるのだろうか。

「安全に取り組めるように考えたら、これまでのようにはならない」という希望的観測ならば、脳天気と言われても仕方がないかもしれませぬゾ。

それでもやっぱり事故が起こったら、責任を取るつもりがおありだろうか。

でも、「そこは、現場の判断」として逃げは打ってあるみたいだから、よかったデスね。

先に書いた「中止の方向でいくのは簡単だと思うが、続けていけるように何をしていくかを考えていくべき」との意見は、「東京都公立中学校PTA協議会で総務財政委員長を務める檜山真一さん」のようですな。

日本スポーツ振興センターで学校安全部安全支援課長を務める米山尚子さん」は、「組み体操をやめたら次はムカデ競走をやめる、といった議論になってしまう気がする。フォークダンスをやっていればいいのか、これでは運動会そのものがなくなっていく」とのご意見だそうで・・・。

しかしながら、「徒競走でコケて怪我したから、徒競走をヤメろ」などとは、誰も言わんよ。

今回の議題を、モンスターペアレントによるクレーム程度のモノと、お考えなのだろうか。

自分たちの領分の話を、外部の人間の意見によって左右されたくないという類の、要らぬ意地としか思われんね。

ただまぁ、「こういう大人になってはイケナイ」という教育的意義は高いかもしれんわな。

過去の議論についても含めて、議事録を拝見したいのだが、公開されていないように見えるのはワタクシだけか。

見つける能力が低すぎたカナ。

いずれにせよ、首の骨を折って全品麻痺になってでも組み体操をやらなければならない理由など、無論、あろうハズもない。

ただただ、ヤバい信奉者どもが、意固地になっているだけの話であろう。

生徒の皆さんは、偉い教育者の方々に殺されないように、自分の身は自分で守っていただければ幸いである。

はい。

だいたいが、人に何かを強制的にやらせるというときには、それ相応の客観的な理由がなければイケナイよ。

「とにかくヤレ」というのでは、畜生相手でも怒られるのがイマなのさ。

そんなことも感じられない奴らが、一体、何を議論しようというのか。

まずもって、委員の方々が、組み体操をやるべきだろう。

11段くらいのヤツを。

5段だって、できやしないだろう。

どうしてダメな奴らというのは、人にヤラせたがるのだろう。

それはおそらく、自分が楽しいことをやっていないからではないか。

人に何かを強制して、世の中が自分の思うとおりだと感じて悦に入るというのは、人間のもっとも醜く愚かしい姿の一つだ。

そんなことをしても、我慢することが刷り込まれた「奴隷」を作るだけの話である。

新たな奴隷ができて喜ぶのは、強制をする側こそが、思い込みの奴隷にすぎないからだろう。

組み体操で学べることは言えば、「協力する喜び」であるよりも、「全体のためには、一部の人間が犠牲になっても仕方がない」ということだ。

それは、馴致、つまり、人間を動物として飼いならすための手段にしかならず、それぞれがそれぞれのあり様に従って喜びを見出す道を作る、そのための準備をするという、教育の目的とは真逆のものにすぎない。

のであーる。

と思うのだが、如何かね。

オッサンがロボットをイジメる動画

まいど、どーも。

この国にある大半の仕事は別にしなくてイイようなものなのではないか、という深い疑いを持つオトコ、kihiroです。

てなワケで、仕事もしないで、この記事を読んでおりましたが・・。

 

www.c-lab.link

 

ロボの動きが、ジワジワくる。w

www.youtube.com


手をつかずに前にぶっ倒れる様が、かなりヤバい。

これは、次世代のイジメですね。

そのうち、ストレス解消のためのイジメ用ロボが開発される日が来るのでしょうか。

ヤラれるたびに、「やめてくださいよぉ」とか言ったら、なおオモロイと思う。

思った。

つーか、そう言えば・・・。

いじめてくん (バーガーSC)

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  • 作者: 吉田戦車
  • 出版社/メーカー: スコラ
  • 発売日: 1991/05
  • メディア: コミック
  • クリック: 2回
 

 

って、あったよなぁ。

爆発するんだっけ?w

つーか、そもそも爆弾なんだっけ、か。

スゲーなぁ。

さすがは吉田戦車センセーであーる。

というワケで、イジメについてボクが書いた、まじめーな本はコチラです。

なぜイジメはダメなのか

なぜイジメはダメなのか

 

 

はい。

才能の在処と「センスのある人は違う」というセリフの浅薄さについて

まいど、どーも。

耳から鼻毛が生えるくらい寒いですね、でお馴染みのkihiroだよ。

で、コレ、読んでたんデスけど。

 

news.denfaminicogamer.jp

 

アレですね。

イイ記事ですね。

何がって言うと、桃太郎電鉄をチューニングしまくって作ってるクダリ。

多くの場合、できあがったモノだけをみて、その完成度の高さに、「センスのある人は違うなぁ」などという感想を漏らしがちですが・・・。

実際には、こういう泥臭い作業をやってやってやりまくって、その中から、「こうした方がイイ」、「こうすべき」という話が出てきているというコト、だわな。

人は往々にして、「サッとやったら、パッとできる」みたいなことを才能だと思いがち。

しかし、本当は違う。

ずーっと関わり続ける中で、色々なものが見えてくる。

そして、その末にできあがったものが、人を唸らせる。

だから、長く関わることができるというそのことこそが、才能であり、才能の在処なのだよ、という話。

うん。

ただ、その後に出てくる、「“王道”から外れない発想」ってーヤツは、個人的にはムリ。

だと思った。

おわり。

本気で分からない人たちによる全然フォローになってないフォロー

最近はアレですか。

全然フォローになってないフォローをするのが流行ってるんですか。


例えば、コレ。

netgeek.biz


いやいや。

全然フォローになってないから。

「全文読めば全く問題なし」じゃないから。


そして、コレ。

 
いやいや。

全然フォローになってないから。

「純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがない」とか、ムチャクチャ言いいますなぁ。


どちらも怖すぎますね。


つまりは、「本気で分からない」ってことを意味しているので。

多くの人たちが何を問題にしているのか、を。


うっかりやったり、言ったりしてしまったのかもしれない人たちも、たしかに、かなりヤバイです。

でも、「本気で分からない人」ってのは、それとは、また違う次元ですから、ねぇ。


とは言え、まぁ、調子に乗ってるヤツも、本気で分からないヤツも、どっちも怖いってーのは変わりませんが、な。

クワバラクワバラ。

「なぜ葬式は死後数日でやるのか。」への答え

はてなブログには、匿名のブログというのがあって、皆さんが記事を書き込みをしているようなのですが。

よく知りませんが。

その中に「なぜ葬式は死後数日でやるのか。」というエントリがありました。

結婚式などは婚姻届を出してすぐにやる訳でもないのに、なぜ葬式は死んですぐなのかといった内容です。

「そこに遺体は必要なのだろうか」と、遺体がある間にやらなければならないと思い込んでいるのではないのかと主張したいように見受けられる記述もありましたが、特に遺体のあるなしは問題ではありません。

これ、マジレスすると、「葬式というのは、死と不在を分かつものだから、すぐに行う必要がある」ということになります。

死を目の当たりにした故人に近しい人たち以外には、本人が本当に「死んだ」のか、行方不明などで「ただいないだけ」なのかは、判断がつかない問題です。

つまり、葬式をしないと、社会的な意味合いにおいて、生と死の境界が曖昧になってしまうのです。

もちろん、「死んだ」と告げられれば、言われた側は「そうか」とは思いますが、それはただ口づてで教えられたことでしかなく、社会的に認められたものであるという意味合いが薄い状態です。

そのため、生きているのか死んでいるのか宙ぶらりんの状態であって、言ってみれば、幽霊がウロウロしているような心持ちを、周囲の人間に与えてしまう訳です。

そこにある不安を払拭し、「この人は死にましたので、もう存在しないという新しい関係性を皆で編み直しましょう」ということを公にし、互いに確認するために、葬式は執り行われるのです。

だから、すぐにする必要がある、ということになります。

ね。

つーか、そんなことは分かってますか。

分かってましたか。

すんません。

死にました。