『わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。』井内 由佳著:レビュー
セール中だったので、ポチった。
サクッと読める内容。
でもまぁ、アレですなぁ。
こんな風に思いました、わ。
人間というのは、「自分は世界のことを分かっている」と思いたがる存在だ。
そのため因果律によって世界を切り取り、その解釈に沿った形で収まりが良いように、そしてまた自分の気持が良いように、勝手に分かったことにする。
要するに、「こうしたら、こうなる」という繋がりを自分で考え出し、それがいつでも成り立っているように世界を眺めるという話だ。
簡単に切り捨てるつもりはないが、本書は、そういう類の本だと言える。
しかし、「勝手にそう思ってるだけでしょ?」で済まないのは、人間的事実、あるいは人間的現実とでも言うべきものがあるからだ。
多くの人間が、ある解釈を採用し、そのとおりに物事が運んだと見なしたなら、それは彼らにとっての「現実」となる。
つまり、「神さまの言葉を大事にしたら、すべてがうまく行ったから、それは正しい考え方だ」と考えるようになるという話である。
また、単に一人ひとりがそんな風に考えるだけでなく、それぞれがそれぞれに対し深く影響を及ぼし合っているというのも、大事な点だ。
著者の言っていることが正しいと考える人が彼女の周りに集まり、その正しさを互いに確認し合って、確信の強さを高めているということだ。
本書の基本的な内容としては、「何事も神さまに好かれるような態度で望むべし」という話になっている。
そして、その内容というのは、「人に好かれ、かつ、自分でも恥じるところがないようなことをすべし」ということを意味している。
そうすると、本人の心の中に後ろ暗いところがなくなるし、周囲の人間にとっても利益があるため、物事がうまく進みやすくなる、という具合になる訳だ。
それは、そうだろう。
そのことには、特に異論はない。
こういう類の本を、個人的には、「負けない系自己啓発本」と呼んでいる。
ジェームズ・アレンの『「原因」と「結果」の法則』などが、最たるものである。
内容は、皮肉の意味合いも込めて、「素晴らしい」としか言い様がないものだ。
自分が前向きで、正しいことのみをし、人に親切にする気持ちに溢れていたら、それが自分にも返ってくるという、ありがたいお話である。
「まぁ、実際、そのとおりにできたら、負けないだろうなぁ」ということで、「負けない系自己啓発本」という訳だ。
けれども、そうした本の多くには、非常に重大な欠点がある。
それは、自らの考え方の良さを喧伝するばかりで、そこに入っていくための方策が書かれていない点だ。
「こう考えなさい」と主張するだけでなく、自然とそう考えられるように導くことが必要であり、その点が決定的に欠けている、という話である。
実際、「どうしたら、そういう風に考えられるようになるのか」が大事であって、「そう考えるとうまく行く」という説明は、それほど重要ではない。
なぜなら後者は、ある意味で、当たり前の話であるからだ。
おそらくは、「負けない系自己啓発本」の作者たちは、「そう考えるとうまく行く」のだから、「読者も同じようにすれば良い」と考えているのだろう。
しかし、それを仏教になぞらえて言うなら、多くの人間が「解脱」できないのと同じ理由で、無理な話だ。
「苦しみから逃れることができるから」と言われても、「執着を捨てる」ことができないのが人間だ。
同じように、「人のために尽くせば、自分にも大きな見返りがある」と言われても、「まず自分が得をしたい」と思うのが人間だろう。
その点こそが、「負けない系自己啓発本」へ、大きな疑問を投げかけざるを得ないところである。
言ってみればそれは、「人間をやめろ」という話なのだ。
人間に、「人間をやめれば楽になる、うまく行く」と教え諭すことには、解決の付かないおかしさがある。
無論、これは大げさな話だ。
本書はただ、考え方のコツを教えているものであって、別に「解脱」に向かわせるためのものではないからだ。
けれども、「あたかも簡単なことを語っているようでいて、そのくらい難しい話をしている」という意見は、正しいのではないか。
そこまで難しい話だということを、書いている側は理解しているのか。
そこに、大きな疑問がある。
「少しずつやってみたら、その良さが分かるのだから、やってみてはどうか。」
そう言われているような気もする。
しかし、それはどうにも、非人間的な立場に思える。
言ってみれば、それは導きではなく、ただの自慢であり、酷く独り善がりなものだ。
なぜかと言えば、そこで「少しもやってみることができない」というところにこそ、解決すべき大きな問題があるからだ。
とどのつまり、「負けない系自己啓発本」を書く彼らは、多くの読者とは関わりのない「向こう側の人間」なのである。
では、どうしたら、向こう側へ行けるのか。
換言すれば、自らを変えられるのか。
ここいらの話については、以上の話も含め、まとめて電子書籍にしたろうか、と思っている。
そんな訳で、おつかれちゃん。