ブログタイトルをキャッチーにするための「たった2つのポイント」
ブログタイトルをキャッチーにするためには、どうしたら良いか。
それは、簡単。
反面教師を利用してしまえば良い。
つまり、まったく見る気にならないブログの題名をチェックするということだ。
そうすれば、どういうものがダメなのかが分かり、そこから解決策が探れる、という話であーる。
なので、新着エントリーから、「うわー、見る気にならんなー」というのを、レッツ・ピックアッープ!
だよ。
まず、「こりゃダメだ」と思ったのは、題名からだと何が書かれているか分からないもの。
「どうすれば?」とか、「三日目」とか、「やっと」とか。
記事の内容が、どういう話題かすら分からないので、わざわざ行って読もうと思わない。
つぎに、日常的にすぎるもの。
「洗濯」とか、「外でランチ」とか。
これらは要するに、読み手の利益に関わっていない。
つまり、読んでもトクする感じがしない。
だから、よほどヒマじゃないと、読もうなんて思えない。
とまぁ、とりあえずの例を挙げたが、もちろん、「ブログ記事たるもの、こういう題名にしては絶対ダメだ」という話ではない。
たくさんの人に読んでもらえたり、人気エントリにはなりづらいだろう、という話。
では、読む気にさせるのは、どういうものか。
ベタだが、「◯◯を解決する3つの方法」という類のものがある。
これなどは、読者がそれを得たいと思うかどうかは別にしても、明らかな利益を提示している。
また、「◯◯がバカ売れする意味」や「なぜ◯◯は失敗に終わったか」などは、読み手の好奇心を刺激してくる。
結局のところ、
1.何が書かれているか分かる。(具体性がある。)
2.興味、関心に訴える。
というのが、ポイントだ。
と、まぁ、至極フツーの結論だが・・・。
ただ、タイトルがキャッチーであるということは、そこが読み手のフックになるということ以上の意味がある。
それは、単にタイトルに惹かれるというだけでなく、題名がそれなりに気を付けられたものであれば、内容についてもそうだと予想される、ということだ。
逆に言えば、「タイトルに気を遣えない書き手は、記事の内容も独り善がりである可能性が高い」という印象を与えてしまう、っつー話である。
タイトルが面白そうだということは、記事の中身も面白そうだ、という風に、読み手の心の中で繋がっている感じな訳だ。
だから、「わざわざアクセスしてでも読もう、読みたい」と思わせることができるのである。
そこが最も重要なポイントだろう。
まぁ、これまた当たり前の話けどナー。
てなトコロを踏まえて、拙ブログの記事の題名の例は、「ゆう活で顔が曲がる話を教える技術」である。
あるいは、「排気ガスが戦闘機械獣マクベスにアップルウォッチのサイクリングなワークアウトの注目記事」である。
ズギャアアアアア。
ぎょええええええ。
ガクーン。
ぱたり。
ピクピクッ。
サササッ。
カサカサカサカサッ!
ふわー、ふわわー。
びろーん、びろろーん。
パカッ。
パンパカパーン!!!(意味なし)
おわり。
・・・。
で、オマケの追記。
15年ほど前だったと思うが、いわゆるブログ的なサイトが出現してきた。
それは、記事の投稿や管理がブログ的なのではなく、内容がブログ的だということだ。
2000年の前くらいまでは、まだまだ一般の人がサイトを持つのは珍しいことだった。
そして、ウェブ上に情報を置くということは、「作品の発表!」という色合いが濃かった。
そうした状況は、おおよそ2000年を皮切りに、次第に変化していく。
忘れもしないが、そのハザマの辺りで、通常のHTMLサイトだったと思うが、ある記事を見て、軽いが、しかし、忘れ得ない衝撃を受けたことがあった。
内容は、こんな感じ。
「昨日はみんなと居酒屋で飲んだ。かーくんがつまようじの入った入れ物を倒して、つまようじを床にぶちまけて大変だった。」
うっはー。
まぁ、いまではゼンゼン珍しくもなんともない、「だからドーしたこのスットコドッコイ系ブログ」である。
しかし、いまだ、「作品発表の場」であったウェブ上にそれを見つけたとき、筆者は軽い目眩を覚えた。
覚えたものだよ。
ええ。
それはさながら、美術館に便器が作品として置かれているような光景である。
とどのつまりは、「ぎゃー、くぅー、にぃー?」みたいな話。
おそらくは、その辺りで、ウェブサイトはキャズムを超えたのである。(あってるようなあってないような)
まぁ、だからどうしたということは、ゼンゼンないのだけれど・・・。
キャッチーなタイトルなんてことを考えたのだが、そもそも記事の内容がどーでもいーからそういう話がマナイタのうえに載っちゃうんだよなぁ、と思った次第。
とは言え、それなりな記事でも、仕上げのタイトルはおざなり、みたいなこともあるから、ネ。
そんな訳で、少しでも参考になりましたらサイワイ。