サイズ(寸法)で家具を検索できるサイトを作りましたよ。
ごぶさたでごわす。kihiroです。
ココの更新をサボって、サイトを作っていました。
家具が寸法(サイズ)で検索できるサイトです。
そもそもの開発の発端は、自分の経験というか、個人的なイライラから来ております。
テーブルを探していたんですが、サイズで探すのがなかなか難しいんですナ。
例えば、「テーブル 幅 150cm」で検索すると、たくさんの結果が、いちおうは出てきます。
でも、「なおかつ、高さは、35〜38cm」というように考えると、ほぼムリ。
「テーブル 幅 150cm 高さ 38cm」と検索しても、「たまたまヒットしたものが出くることがある」という程度。
となると、まず、「テーブル 幅 150cm」で検索して、結果の個別の商品ページを見て確認していけなくてはいけない。
その中には、もちろん、普通に椅子に座って使う食卓にするような、背の高いヤツも少なからずある訳です。
それらは見ても意味がない。
時間のムダです。
家具を置くには、その「サイズ」が、非常に重要なファクターでしょう。
どんなに気に入ったデザインでも、「スペースに合わない」「置けない」というのでは意味がないですからね。
先の例のとおり、自分が探していたのは、幅奥行とも結構あって、しかし、高さはあまりないような感じ。
一般的には、「座卓」というのがカテゴリとしては近いということになります。
しかし、「座卓」として検索すると、かなり和風なものが多くなり、それは狙いとは真逆。
つまり、もっとモダン(?)なのが欲しかった。
という具合で、検索して探しても、時間ばかり掛かるがイイのが出てこない感じでありました。
そんな訳で、自分で作ってしまったというコトです。
はい。
プログラム自体は、PHPとMySQLというベタなコンビで作りました。
サイトの内容から、家具のサイズらしきものを正規表現で引っこ抜きます。
で、そいつをデータベースに突っ込むという具合です。
⇒ http://jff.click/
そんなこんなで、拡散よろしく。
⇒ ツイッターでつぶやいてくれる奇特な方はコチラをクリック
ナチュラルなお盆と真実のエンブレムデザインがいちばん長い日にコンテンツの秘密をどんどん勉強する方法
・まいど。「生まれつき、お盆的な行事を黙殺する感じの人間は、ナチュラル・盆・キラーですか?」でお馴染みのkihiroさんです。お盆ばんわ。
・なるほど。「真実はいつもシンプル」なのではなく、単に、「シンプルな理屈を真実だと思い込みがち」ということか。(あるある、早く言いたかった。)
・2020東京五輪エンブレムデザインパクり疑惑の佐野研二郎さんですが。疑惑作品を集めた画像も出回っておるようで。「ディレクター制で、下っ端が作った案を選り分ける感じだから、気付かなかったんだろう」的な話もございますようデスんが。しかし、それにしても、ちとヒドイね。大学生の「何でもイイから単位取れりゃイイや」的なコピペ満載レポートじゃないんだからサ。法的措置とイッているベルギーのデザイナーさんには、是非とも頑張っていただきたい。ものである。
・『日本のいちばん長い日(決定版)運命の八月十五日』半藤 一利(著)、読了。大変ですナー。当然、軍人を中心に、ジタバタ足掻く人もタクサンいた訳で。ただ、まぁ、当時の人の頭の中では、降伏なんぞしたら、上陸した鬼畜どもに、野郎たちはぶちコロされ、女たちはレイプされ、子供たちは売り飛ばされて、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられると考えていたトコロもあるだろうから、そりゃ藻掻きたくもなるわな。軍事裁判で自分らが死刑になるやもしれんし、ね。しかし、そういう自らの去就という、個人的な思いもありながら、オモテヅラとしては「国体の保持」という言葉を使うのだよね。無論、同時に国を憂いているトコロもあって、そこらへんの渾然一体となった感触は、何とも言い難いナ。ただ、勝手なことを言うなら、切羽詰まった状況の中でも、多くの人は強くオオヤケの心をもって捉えていたのだろうと思うのだが、しかし、その向こうには、つまり、海の向こうには、単なる公共事業としての戦争を粛々と遂行している、本当に少数のまさに鬼畜と呼ぶべきヤツバラがいたのだから、こりゃ、二重の意味で救われないね。それだもの、たとえ、まだまだ人種差別的な考えが強く、イエローモンキーごとき、と思っていたにしても、軍人でない人間も大量にコロしちまえる原子爆弾なんぞを落としてしまえる訳デスわ。原爆投下については、決して「終結を早めるために仕方がなかった」などとは言わせてはならないですよ。ただ使ってみたかったのですよ、彼らは。威力を確かめると同時に、それを誇示することを、ただ単に、したかっただけなのですよ。石原莞爾の仰せのとおり、間違いなく「トルーマンこそ第一級の戦争犯罪人」と言うべきでしょう。
・『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと』川上 量生(著)、読了。最初の方は「どうなることやら」と思っていたが、中盤以降は、クリエイターたちの具体的な声と自らの分析を交えて展開し、ナカナカ読ませるネ。ただし、オチについては「んー、まぁね」って感じが否めないナ。意味を抜き去って構造のみを捉えれば、確かに、そうなるだろうとは思うが、ねぇ。あと、情報というからには、確率の低さという視点も入っていても良かったように思うが、どうだろうか。知らんけど。
・『自分からどんどん勉強する子になる方法』杉渕 鐵良(著)、読了。勉強のゲーミフィケーション的な視点がかなり強いのだが、大事なことは、子供の能力に正しく期待することだろうね。しかし、「頑張れヨ!」「期待してるゾ!」なんてのは、期待していないから出てくる言葉であって、そういうのとはゼンゼン違う。何度となく失敗をしても、最後には理解すべき内容をその子がきちんと掴むのだと思って粘り強く対峙するということこそが、本当の意味で期待するということだろうナ。
コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458)
- 作者: 川上量生
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2015/04/10
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (9件) を見る
赤いアーカイブカブに素晴らしい芸としてのヤバい統計学がまぐれでホゲホゲフー!
・まいど。「アーカイブと赤いカブは似ている!」でお馴染みのkihiroさんだよ。こんぬつは。
・いやぁ、この人の絶妙な、「は?」という主張っぷりは、素晴らしい芸ダナーと思うね。「なぜ止めたか」についての「ええー???」という部分と「年寄りの話よりドキュメント映像でも流した方がいいんじゃね?」の「まぁ、そらそうだけどもネ」部分のコントラストがスゴくて、なおかつ、「まぁ、主催者も、んなこたぁ、当然、分かってやってるんでしょ」って部分もモチロンありながら、同時に、「いやいや、これに言及したら、その時点で負けだ」という部分もあり、さすがに「へーいへーい。ばーかうんこ」とツイートする大ベストセラーの作家センセーだけのことはありますネ。しかも、「なるほど、美化されてるなんつー視点もあるのデスナー」なんつって、変にマジ感心してコメントしちゃってるヤツバラも出てきて、かなりのカオス状態ですわ。しかし、もしかしてコレって、表現者たるもの、他の誰かにとって、これほどまでに「???」となってしまう可能性があるのだとしても、努努恐るることなかれ、というありがたーい教えなのかナー。ワタクシも頭の蓋を開けて生きてイキたいものです。はい。
・『ヤバい統計学』カイザー・ファング(著)、矢羽野 薫(訳)、読了。アマゾンの「人生論・教訓」の売れ筋ランキングで一位だったりする本書ですが、思いの外つまらんかったナー。何というか、全体的に、想定の範囲内すぎるワ。ランプメーターというもの自体については「へー」という風に思ったが、結論については、毎度おなじみ「事実より印象を重んずる人間の姿」ってヤツで、「あーね、あーね」という風でした。嘘発見器の話もネズミーランドのファストパスの話も、何というか、事実としていつの話かは別にして、トピックとしては、どこかしら古ぼけている感じで「20年か30年前に聞いたら、感心したきゃも」という具合ですナ。もしかすると、すでに『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』ナシーム・ニコラス・タレブ(著)、望月 衛(訳)とか『統計学が最強の学問である』西内 啓(著)とかを読んでいて、「統計学的な考え方が、ホゲホゲ、フー!」という論調に対して食傷気味だったせいかなぁ。
Macで複数のテキストファイルを一瞬で結合する方法
はい、TIPS。
という訳で、「Macで複数のテキストファイルを一瞬で結合する方法」だよ。
「書類」フォルダの中に、「temp」フォルダを作ったとする。
そして、その中に、結合したいテキストファイルをいくつか置いたとしよう。
例えば、「1.txt 2.txt 3.txt 4.txt 5.txt」ってな具合、な?
Macの画面にあるアイコンが並んでるヤツ(Doc)から、「LaunchPad」をクリック。
「その他」をクリック。
表示された中から、「ターミナル」をクリック。
起動したターミナルで、
cd /Users/hoge/Documents/temp/
と打って、「return」キーを押下して、さっき作ったフォルダへ移動。
ちなみに、「hoge」の部分は、ユーザーごとに違うので、変えて頂戴。
自分のユーザ名が何だか分からんというヤツバラは、ひとまず、
cd /Users/
として「return」キーを押下。
ls
として「return」キー押下で、それっぽいのを探してくれ。
で。
無事にtempフォルダに移動できたら、
cat *.txt > data.txt
で、「return」キー押下で、終了。
data.txtというファイルができて、その中に全ファイルが結合されている。
わーわー。
オイコラ、テメー。
よかった、な。
ほな、さいなら。
アーメンのがん治療人工知能へのATフィールドと悟りの疑わしさ
・はろー、はろー。「「アーメン」って、「それな」ってこと?」でお馴染みのkihiroさんだ。今日もよろしくナ。
・「がん治療を変える、Pepperへの搭載も--人工知能「IBM Watson」の可能性」を読んだけど。まぁ、人工知能を医学的な判断に利用するというのはイイだろうね。というのも、医師が一人で判断しなければならない場面も多いだろうし、長年やっていると思い込みから死角が生まれるということも、かなーりあるだろうから。判断を完全に任せるというのではモチロンなく、サジェストとして採用するということ、ね。人間の探索と判断とは、マッタクもって一定などではなく、強烈にフラフラしているし、ね。なおかつ、判断による結果の重大性が大きいだけに、自分の外側からくる情報、つまりは、他者性の保持ということは、ヒジョーに大事な問題デスわな。どんなジーさん医師だろうと、テクノロジーへのアレルギー的なATフィールドなんて、作ってる場合なんかじゃない、というコト。そこら辺に二の足を踏むということは、医者としての自分の仕事と自分自身とを軽んじてしまうコトに、結局は、繋がるだろうネ。導入時は偏見による反対もあるかもしれないが、圧倒的な価値を示せるだろうから、さほど問題にはならないように思う、というか、期待する。
・『だから仏教は面白い!前編』魚川祐司(著)、読了。仏教がかなりフランクな形で説明されている。スッタニパータとかを読んでたので、まぁ、「だよねー」的な話も多いのだが、ぶっちゃけ表現が多くて、まったく知らん人でも非常に取っ付き易いだろうと思う。けど、「釈迦の方法論は、確かな効果があるから何千年も生き延びてきたんだろう」みたいなコトが書いてあったと思うが、それは、まぁ、どうだろうかね、と思ったワ。効果があるというのは、どういうことを言っているのか。小さな悟りみたいなモノがあるということだろうか。あるいは、悟ったヤツがこれまでタクサンいたということだろうか。そのどちらも、ドーにも疑わしい感じがするネ。あと、インタビューのまとめだし、分量から言っても、前編と後編とあわせて390円くらいな気がする。後編、まだ読んでないけど。それと、やっぱり個人的には原始仏教以外は「ドーでもイイわー」と思った。それ以外は、いかにも、「ダメなヤツらが、あーだこーだと余計な解釈をくっつけた」というようにしか思われんので。(問題発言)
インド式アフィリエイトでアップルウォッチの雷雨が金メッキのガダラの豚を買わないという福音
・「みなさん!インド式アフィリエイトで稼いでまスカ!?」で、お馴染みのkihiroさんです、こにゃにゃちわ。ちなみにインド式アフィリエイトというのは、過去に売りだされていたインチキ情報商材の名称です。かっふん。
・いまだに何に使うか分からないアップルウォッチですが、天気の表示を時計画面に置いてるんですけど、最近、いつも「雷雨」なんですが、コレって、どーなってんの!?実際の天気は、曇ってはいるけど、雷も雨もとんと見当たらないし、普通にウェブで天気のサイトを見たり、アプリで天気をチェックしたりすると、ちゃんと曇りになってんだよナー、当たり前だけど。で、どうやら、元データを、The Weather Channelから取ってるみたいなんだけど、ココがアメリカのサイトみたいで、ゼンゼン内容が合ってないみたいなのよね。ゼンゼン合ってない天気の情報を表示するなんて、意味ナイことこのうえなし。あふぉらしかー。コレって、情報源を変更できないのかね。なぁ、天国のジョブズさん、よぉ。てか、アップルウォッチって、もう、このキットで金メッキしちゃってイイでスカ!?(好きにしろよ)
・『ガダラの豚 I』中島らも (著)、読了。アマゾンでKindle版がセール中だったので、ポチったが、これって3巻のうちの1冊めだったのね。うぅむ。何というか、時代を感じるネ。本が出たのは、いわゆるスピリチュアルブームの頃の90年台だが、内容としてはユリ・ゲラーなんかも出てきて、描かれるテレビ番組なんぞも70年台風だナー。つぅか、そのまま、そこら辺の設定なんだろうけど。小説としては、全体的に「調べたことを書きました!(鼻毛)」的な印象を受けるトコロが多いように思う。要するに、情報量がゼロな感じで、超能力と呼ばれていたモノのカラクリとか新興宗教の裏側とかが出てくるんだが、完全に「あーね」という感じで、「ええ?そうなん?」みたいなトコが皆無。あと、アクションシーンも書いている本人にはそーゆー衝動なんざぁなしな雰囲気の上滑りで、人物の描写も業のようなものは感じられず、設定されたキャラが登場して、ただ喋ったり動いたりしているといった具合で、どうしようもなくそうなってしまうとか、そうしてしまうとかいうようなものは描かれておらないようであって、軽いというか浅いというか、どうにもブンガクテキでないねー、と、そんな感じですワ。なので、「IIやIIIを買うか」と問われれば、「買わねぇ」と答える、ナァ。
・ちなみに、ガダラの豚ってのは、福音書に載ってる話ですな。大工の息子たるイエスが、湖を渡ってガダラ人の住む岸についたところ、悪霊軍団に憑かれちまったマジキチがいたので、悪霊たちの言うとおりにそいつらの憑依する先を豚に移したら、移された豚の群れが水の中へ落ちて死んだのだが、その話を伝え聞いた町の人間は、「イエスはん、この町から出ていってくれまへんか」と言ったという感じの話、だそうで。読んだはずだけど、あんまし覚えてない、なぁ。これって、なんだろうね。悪霊たちは、レギオンって言うんだけど、これはローマの兵隊だっつぅ話もあるけど、なんかアレですか?「向こう岸にいた町の人は、悪霊を追い払うことよりも、豚の経済的な価値のが大事で、狂人が救われることの重要性を認めないし、軍隊を追い払うことの大事さも認めない、救われない感じのどーしょーもないヤツバラだったよネ。未だ時は来たらずダナ!」ってコト?いや、ゼンゼン分からんし、知らんけど、さ。
ブログタイトルをキャッチーにするための「たった2つのポイント」
ブログタイトルをキャッチーにするためには、どうしたら良いか。
それは、簡単。
反面教師を利用してしまえば良い。
つまり、まったく見る気にならないブログの題名をチェックするということだ。
そうすれば、どういうものがダメなのかが分かり、そこから解決策が探れる、という話であーる。
なので、新着エントリーから、「うわー、見る気にならんなー」というのを、レッツ・ピックアッープ!
だよ。
まず、「こりゃダメだ」と思ったのは、題名からだと何が書かれているか分からないもの。
「どうすれば?」とか、「三日目」とか、「やっと」とか。
記事の内容が、どういう話題かすら分からないので、わざわざ行って読もうと思わない。
つぎに、日常的にすぎるもの。
「洗濯」とか、「外でランチ」とか。
これらは要するに、読み手の利益に関わっていない。
つまり、読んでもトクする感じがしない。
だから、よほどヒマじゃないと、読もうなんて思えない。
とまぁ、とりあえずの例を挙げたが、もちろん、「ブログ記事たるもの、こういう題名にしては絶対ダメだ」という話ではない。
たくさんの人に読んでもらえたり、人気エントリにはなりづらいだろう、という話。
では、読む気にさせるのは、どういうものか。
ベタだが、「◯◯を解決する3つの方法」という類のものがある。
これなどは、読者がそれを得たいと思うかどうかは別にしても、明らかな利益を提示している。
また、「◯◯がバカ売れする意味」や「なぜ◯◯は失敗に終わったか」などは、読み手の好奇心を刺激してくる。
結局のところ、
1.何が書かれているか分かる。(具体性がある。)
2.興味、関心に訴える。
というのが、ポイントだ。
と、まぁ、至極フツーの結論だが・・・。
ただ、タイトルがキャッチーであるということは、そこが読み手のフックになるということ以上の意味がある。
それは、単にタイトルに惹かれるというだけでなく、題名がそれなりに気を付けられたものであれば、内容についてもそうだと予想される、ということだ。
逆に言えば、「タイトルに気を遣えない書き手は、記事の内容も独り善がりである可能性が高い」という印象を与えてしまう、っつー話である。
タイトルが面白そうだということは、記事の中身も面白そうだ、という風に、読み手の心の中で繋がっている感じな訳だ。
だから、「わざわざアクセスしてでも読もう、読みたい」と思わせることができるのである。
そこが最も重要なポイントだろう。
まぁ、これまた当たり前の話けどナー。
てなトコロを踏まえて、拙ブログの記事の題名の例は、「ゆう活で顔が曲がる話を教える技術」である。
あるいは、「排気ガスが戦闘機械獣マクベスにアップルウォッチのサイクリングなワークアウトの注目記事」である。
ズギャアアアアア。
ぎょええええええ。
ガクーン。
ぱたり。
ピクピクッ。
サササッ。
カサカサカサカサッ!
ふわー、ふわわー。
びろーん、びろろーん。
パカッ。
パンパカパーン!!!(意味なし)
おわり。
・・・。
で、オマケの追記。
15年ほど前だったと思うが、いわゆるブログ的なサイトが出現してきた。
それは、記事の投稿や管理がブログ的なのではなく、内容がブログ的だということだ。
2000年の前くらいまでは、まだまだ一般の人がサイトを持つのは珍しいことだった。
そして、ウェブ上に情報を置くということは、「作品の発表!」という色合いが濃かった。
そうした状況は、おおよそ2000年を皮切りに、次第に変化していく。
忘れもしないが、そのハザマの辺りで、通常のHTMLサイトだったと思うが、ある記事を見て、軽いが、しかし、忘れ得ない衝撃を受けたことがあった。
内容は、こんな感じ。
「昨日はみんなと居酒屋で飲んだ。かーくんがつまようじの入った入れ物を倒して、つまようじを床にぶちまけて大変だった。」
うっはー。
まぁ、いまではゼンゼン珍しくもなんともない、「だからドーしたこのスットコドッコイ系ブログ」である。
しかし、いまだ、「作品発表の場」であったウェブ上にそれを見つけたとき、筆者は軽い目眩を覚えた。
覚えたものだよ。
ええ。
それはさながら、美術館に便器が作品として置かれているような光景である。
とどのつまりは、「ぎゃー、くぅー、にぃー?」みたいな話。
おそらくは、その辺りで、ウェブサイトはキャズムを超えたのである。(あってるようなあってないような)
まぁ、だからどうしたということは、ゼンゼンないのだけれど・・・。
キャッチーなタイトルなんてことを考えたのだが、そもそも記事の内容がどーでもいーからそういう話がマナイタのうえに載っちゃうんだよなぁ、と思った次第。
とは言え、それなりな記事でも、仕上げのタイトルはおざなり、みたいなこともあるから、ネ。
そんな訳で、少しでも参考になりましたらサイワイ。